お久しぶりです。1年の川名です。2月22日に行われた卒業生の送別試合および送別会について書かせていただきます。
はじめに、送別試合にお越しくださったOBOGの皆様、お忙しい中ありがとうございました。また、多くのOBOGの方々からカンパをいただきました。心より感謝申し上げます。皆様の温かいご支援は、現役部員にとって大きな励みとなっております。
さて、今回の送別試合には、OGOBの古川先輩と河本先輩が今年度の卒業生として参加してくださいました。
左:河本先輩 右:古川先輩送別試合は、古川先輩 vs. 齊木先輩、河本先輩 vs. 広羽先輩の2試合が行われました。結果は、古川先輩が引き分け、河本先輩が腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め、卒業生チームの勝利となりました。また、古川先輩と佐藤先輩によるエキシビションマッチも実施され、こちらも引き分けとなりました。
僕が個人的に印象深かったのは、古川先輩の「亀の固さ」です。SRTや横締め横三角をかけられても適切に対処し続け、厳しい状況下でも引き分けに持ち込むその粘り強さに、改めて感銘を受けました。
古川先輩のベタ亀送別会では、今野師範のビデオメッセージをはじめ、多くの方々から卒業生への激励の言葉が贈られ、改めて柔道部が多くの人に支えられていることを実感しました。

今回もやはり、現役生の某M先輩がアルコールを摂取し、例のダル絡みを見せていました。日頃溜め込んだ鬱憤がアルコールを通して全て解放されていました。それだけならまだしも、同期の1年生(※成人済みなのでご安心ください)も飲酒してその輪に加わり、何とも形容しがたい光景が広がっていたことが印象に残っています。本当はその様子を撮影した動画をこの記事に貼り付けてネット上で晒したいところですが、それはまた別の機会にしたいと思います。
改めまして、古川先輩、河本先輩、これまで本当にお疲れ様でした。 そして、お越しくださったOBOGの皆様にも、心より感謝申し上げます。
ご無沙汰しております、先日引退した河本です。
はじめに、お世話になった指導陣の皆様、OBOGの皆様、その他関係者の皆様、本当にありがとうございました。また、外部生であるにも関わらず、東京大学柔道部の一員として温かく迎えてくださりありがとうございました。
最後の七大戦ではずっと目指してた優勝はできず、決勝にも進めませんでした。このチームなら優勝を狙えるメンバーだったにも関わらず最後は自分の弱いところが出てしまい、後輩たちには悔しい思いをさせてしまいました。
柔道を辞めたくて辞めたくてしかたなかったですが、森本先生が怖くて辞められませんでした。ただひたすらに耐え忍んだ10年間でしたが辞めなくてよかったと思えるような10年間でした。
総じて楽しかったです、4年間お世話になりました。
女子へ
ビデオメッセージありがとう。集まりには呼んでくれ。
広羽
きっとこの一年が1番責任とか重圧感じる年になると思うけど頑張れよ。みんなついてきてくれるから。
応援してる、女子主将。
メリッサ
のびのびやってくれ。それが1番チームのためになる。お前は十分強い、自信持って。
たくさん助けてくれてありがとうね。最後は色々背負わせる形になって本当に申し訳ない。
乾
お前はマジでなんで柔道部に入ったかわからんがついてきてくれてありがとう。泣いたり泣いたり泣いたり泣いたり、お前が泣いとるところしか見たことないけど、悔しいと思った分だけ強くなると思うから負けんなよ。
ゆいちゃん
去年は悔しいことや辛いことがあったにも関わらず、柔道部でいつづけてくれてありがとう。七大戦では大事な戦力として戦ってくれてありがとう。次の七大戦は強さでチームを引っ張ってあげてください。
あんりちゃん
ほとんど関わることは最後までなかったけど、柔道部に入ってくれてありがとう。みんなええ先輩やし、良いチームなので先輩たちの背中見てついていってあげてください。
男子
お願いしたら嫌な顔一つせず組んでくれてありがとう。力も体格も男子と女子で全く違う中で、さらに男子側が怪我させないように気を使わないといけないにも関わらず本当にありがとう。男子たちの協力なしでは女子はここまで強くなれなかったです。ありがとう。
これからも後輩たちに怪我だけはさせないであげてください、お願いします笑。
最後に同期へ(古川)
主務も主将もお疲れ様でした。以下略
とりあえず一回黙ってくれ。
#下北のマック #サンダードルフィン
#同期4人
お久しぶりです。引退しました。岡本です。
ついに引退ブログを書く時期になってしまいました。一応書いてはいたのですが同期のみんなが投稿するのを待っていたら、こんな時期になってしまいました。いや嘘です。末広が投稿するまで1文字も書いていませんでした。七徳で育んだ怠惰は僕の筋肉よりも強く逞しくなってくれました。
まず、今まで指導してくださった金野師範、山本コーチ、猪俣コーチ、揉めに揉めましたが最後は僕達の思いを汲んで試合に出てくれた寺田監督、そして常日頃から僕らを支援してくださったOB、OGの皆さん、出稽古を快く受け入れていただいた各所の方々、ありがとうございました。特に、現役が地元東京での試合に完全に集中して臨めたのは七大戦運営に関わった若手のOB,OGの先輩方が、苦労を僕達に見せずに水面下で準備していただいたおかげです。今年からは、僕もOBの一人になりますので、現役の迷惑にならない程度に支援できるよう頑張っていきます。
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何やら振り返れば良いかわかりません。というか、七大戦より前の記憶はほとんどございません。部室に霊媒師を呼んだりして、その記憶を呼び起こそうとしました。以下、その手法です。
i) 霊媒師に目の前で振り子を振ってもらう
これは良くある手法ですね。揺れる振り子を眺めて、催眠状態になった僕から霊媒師に色々と過去のことを聞き出してもらおうと考えました。しかしながら、高校生時代の記憶が蘇り、10周期分の秒数を数えて10で割って、1周期を計り出してしまったので、あえなく中断。
ii) 霊媒師に預言の水晶玉を持ってきてもらい、過去のことを回顧する。
これは、かの有名なノンフィクション映画「ハリーポッター」に出てくる予言の水晶玉を持ってきて、予言を聞き出し、それに関する過去の出来事を思い起こそうと考えました。急に霊媒師が、「名前を言ってはいけない人が今ここに現れるであろーー」と言い出し、倒れてしまいました。その直後に、僕の同期四人が談笑しながら現れました。ここで、過去四人の引退ブログを見返してください。この四人の中で、本名で呼ばれていない人が一人います。四人の名前を思い返してみましょう。重松、中岡、末広、掟破り変態野郎!!←こいつでした。最終決戦が今、始まる!
iii) 精神科の先生に普通に診てもらう。
これが確実でしょう。行こうとしました。立ち止まりました。過去の僕のブログを見てください。僕は一度、警察の方と仲良くなりました。よって、精神科に行くと、牢屋にぶち込まれるかもしれません。やめました。
iv) タイムマシンを作る。
これはさまざまな方法で試しました。
ア) 洗濯機の中に入る。
これは、一部には有名な話かもしれません。洗濯機の中だと、高速に回転してある一定の回転数を超えると、過去に遡れるというものです。残念ながら、窮屈すぎて洗濯機には入れませんでした。
イ) ワームホールを見つける
ワームホールとは、時空が歪んで、時空上のある一点から別の一点へ瞬時に移動できるというものです。一応、銀河のどこかにはあるのでは、という話らしいですが、残念ながら僕は宇宙飛行士ではありません。あえなく中断。
ウ) デロリアンに乗る
はい、出ました。言わずと知れた、ノンフィクション映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出てくるタイムマシンです。車にフックを取り付けて、落雷の瞬間に電柱と時計台に張った電線に引っ掛ければ良いらしいです。運転免許持ってませんでした。泣。
エ) メンインブラックIIIに出てくるタイムマシーンを使う。
これも有名ですね。ノンフィクション映画「メン・イン・ブラックIII」に出てくるタイムジャンプマシンです。行きたい過去の時刻に目盛りを合わせて、高所から飛び降りつつスイッチを押し、行きたい時刻と目盛りが揃った時にもう一度スイッチを押すと、タイムスリップできるというものです。高所恐怖症でした。無理です。
オ)光の速さより早く走る
光の速さを超える速さで走ると、時空が歪み、タイムスリップできるというものです。残念ながら、現在の科学では光より早く走る乗り物はありません。よって、自分の足で超えようと試みました。足首怪我してました()
流石の僕でもここまで試して無理なら諦めるしかありません。みなさん、さようなら。
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最後に、茶番に付き合っていただき、ありがとうございます。
流石に、振り返ろうと思います。結果は3位でした。個人としても、チームとしても、悔いの残る結果となりました。七大戦に役割があるとはよくいうことですが、最後の最後に、僕は役割を果たせませんでした。そして、おそらく、そのせいでチームは負けました。改めて、文字にすると、本当に悔しいですね。もっと、前半でリードを作れるようにすべきだったとか色々あるとは思いますが、このチームを率いた主将として、結局僕の力不足だったと思います。ただ、主将としても、選手としても全力は使い切りました。また、チームのみんなは、僕に回ってくるまで皆が役割を果たすべく全力を尽くし、ほぼ理想通りの展開だったと思います。みんな、本当に強くなったし、主将として、物足りないところもあったと思うけど、本当に一年よくついてきてくれました。お疲れ様。
何か色々書きたいこともありますが、茶番で字数を割きすぎました。赤柔にもいっぱい書くと思いますし、後輩に伝えたいことは、練習にもそれなりに顔を出すので、その時に聞いてくれれば嬉しいなって感じです。
本番まで、主将を心折れずに続けてこれたのは、話を聞いてくれる先輩や、失礼でリスペクト溢れる後輩だったり、四者四様に圧をかけてくれた同期のおかげです。特に、同期が練習を頑張っていたから、練習を頑張れたし、主将として求心力がない時も同期に助けてもらいました。末広、重松、中岡、山路、本当にありがとう。
最後に、言い残すことがあれば、勝たなければやはり悔しいです。部活全体は、本当にいい思い出でしたが、最後の七大戦はいい試合ではあっても、いい思い出ではなく、悔しい思い出として残っています。勝つ可能性を上げるためには、新歓して、増量して、練習するしかありません。努力したからと言って、勝てるとは限りません。でも、努力しないと、勝てる可能性は減ります。今の3年以下は今年の七大までで本当に強くなりました。これからも強くなると思います。応援しています。
最後に、引退した老害っぽいことも言えたので、トンズラしようと思います。
みなさん、ありがとうございました! 岡本
皆様こんにちは。この度引退しました4年の末広です。
これ以上現役に迷惑をかけられないので、そろそろ書きます。
まずは今まで柔道部を支えてくださった指導陣の方々、東大柔道部OBの方々、七大戦関係者の皆様に感謝申し上げます。皆様のご支援とご協力により七大戦で自分たちの力を最大限発揮できたと思います。本当にありがとうございました。特に代の近い先輩方には本当に色々迷惑をおかけしたと思うのですが、それでも気にかけてくださりありがとうございました。
結果はご存知の通り3位でした。全てを出し切ってこの結果なので悔いは全くありません。嘘です。悔しいです。めっちゃ悔しいです。
これで終わってもいいのでしょうが、流石に短いなと思ってしまったので、最近あった話でもしましょう。
現役は知ってると思いますが、肩の手術をしました。去年の夏練の始めに初めて肩が抜けて、そこからはずっとサポーターをつけて柔道をしていたのですが、最後はもうボロボロでした。将来子どもとキャッチボールをするためにもちゃんと治さないとと思い、手術することにしました。怪我の名前は「反復性右肩関節脱臼」で、手術の名前は「関節鏡下肩関節唇形成術」です。術後すぐはブロック注射の効果で右腕の感覚が全く無く痛みもそれほど強くはなかったのですが、退院して麻酔も切れるとまさに地獄でした。唯一の救いは同じ病院で同じ手術をした後輩が2人もいて、痛みを緩和する方法を教えてくれたことです。これによって大分と楽に過ごせたと思います。河本齋木ありがとう。
これで晴れて激痛から解放されたと思ってたところなんと人生で初めて胃腸炎になりました。しかも偏頭痛も来るという大三元で、文字通り死にかけていました。引退した後のこの3連単なので苦尽甘来ならぬ苦尽大苦来でした。そこで肩の手術後に偏頭痛と胃腸炎になった人あるある何個か載せておきます。
・腹と肩と頭が痛くて気張れないからトイレが異常に長くなる
・しかしトイレに篭っても「ぴゅっ」ぐらいしか出ない
・上半身を少し上げて寝ると全部に症状を緩和できる
ちなみにこの1週間でさらに体重を減らしてしまい、一時は78kgにまで下がってしまいました。試合の時は88kgだったので1ヶ月で10kgと本当に効率のいい減量です。
以上まじでどうでもいい近況報告でした。
さて一応引退ブログなので、同期とか後輩にメッセージとかいうエモエモコーナーやっときます。(掟破り変態野郎が1番最初に全部書くからみんなやりにくくなってるやろうが!後の人間のこと考えられへんのか!まじで最後まで使えへんな!)僕は諸事情でこれからみんなと会える回数があまりないので、この場を借りて書かせてもらいます。
1年
みんな柔道部入ってくれてほんまにありがとう。ほんまは飯とか行ってみんなとの時間を増やしたかったけど、お前らだけで十分楽しそうで僕らみたいな老人の入る幕はなかったわ。これからも仲良く切磋琢磨してくれ。(1人ずつ書こうと思ったけど多すぎて無理やった。すまん。)
2年
小柳 戻ってきてくれてありがとう。ほんまに東大生か?って思う時も少なく無いけど、お前おるだけで練習中の雰囲気が良くなるのお前の才能やから、芸人なるのも視野に入れていいと思う。
齋木 プレイスタイル似てるし肩も怪我してるって理由で色々口出したりしたな。口出しされてどんな気持ちになるかは僕とか中岡が1番わかってんねんけど、やっぱりポテンシャルあるからほっとかれへんかったわ。これから自分の良さを活かせる柔道を研究してくれ。
なおや ここ1年で1番強くなったんがお前やと僕は思ってる。その分頑張って食って筋トレして練習して研究してるのもわかるし、ほんまに偉い。今回悔しかった試合もあったけど、それバネにして強くなってくれ!来年以降期待してるで。
広羽 入部当初はあまりにもパワー差がありすぎてどう練習すれば広羽が強くなるかわからんかったけど気づいたらめっちゃ強くなってたな。けどもっと強くなれる。あとこれは広羽だけじゃなくて理系の2年全員に言えるけど、学科決まったら友達いっぱい作りや。これから実験とかで忙しくなるけど、そういう時に頼りにできる友達おったら途中で抜けて練習参加しやすくなるから。
メリッサ メリッサは僕の中では1番勉強してるイメージやった。多分僕より勉強してるんちゃうかなって思ってる。柔道と勉強両立すんのってまじで大変やし1番僕がわかってるけど、諦めずにやり続けてくれな。応援してるで。
世銀 かっこいいし英語上手いしスタイルいいしほんまに羨ましい。柔道もどんどん強くなってるな。今年は試合出れんくて悔しかったと思うけど、努力は裏切らないからもっともっと体重増やして力つけて強くなろ!応援してるで。
3年
河本 お前も肩とか色々怪我してから大変やったよな。脱臼した時の痛みがわかるもの同士肩に負担かかりにくい技共有したりしたな。プレイスタイル完全に変えて、なんもわからんとこから再スタートやったと思うけど、先輩としてちゃんと教えれたかな。いい先輩やったとは全く思わんけど。最後言うとしたら、七大戦良かったと思うで。これから1年、とりあえずリハビリからで大変やけど頑張ってくれよ。
堂下 気づいたら堂下主将やな。見る見るうちに亀固くなって強くなって、ほんまにすごい。少なくとも去年の僕より絶対強い。それでいてあんな馬鹿みたいな授業数を受けてんねんからもっとすごいよ。お前が主将で大丈夫かって言ってくる人もおるけど、なんだかんだみんなお前のこと好きやし頼りにしてるからなんも気にせんで大丈夫やで。知らんけど。あと引退する前からずっと言ってるけど、お前はかわいい。自信持て。
古川 最初は白帯のめっちゃちっさいおっさんやな思ってたけど、それが今ではゴブリンにまで成長して感慨深いわ。文章のセンスも皮肉のセンスも柔道部一で、毎日笑わせてもらった。お前は社会に出すのがもったいない逸材やから、普通に養ってあげたい。そのために頑張るわ。堂下のポケモントレーナーも主務も後輩のお世話も大変やろうけど、お前の授業のしんどさ足してもギリ堂下の授業のしんどさに達してないと思うから頑張ってくれ。目指せ大ゴブリン。
同期(めっちゃ恥ずかしいから一言ずつだけ)
岡本 柔道部誘ってくれてほんまにありがとう。
重松 お前の真面目だけどとち狂ってる所めっちゃ好きやった。
中岡 同じ立ち士としてお互い頑張ったな、お疲れ。
山路 お前が同期におったからハーフ頑張れた、ありがとう。
はい。終わり、じゃないですね。もう1人いますね。そうです。この人です。
寺田さん 僕たちのわがままを聞いて頂いて本当にありがとうございました。いろいろありましたが、最後全て誤解を晴らすことができてよかったと思います。一緒に戦えて嬉しかったです。ありがとうございました。
また繰り返しにはなりますが、東大柔道部の関係者の皆様、本当にありがとうございました。
長かったですが、以上を持ちまして引退ブログとさせていただきます。
最後に、東大柔道部最高!
皆さんこんにちは、4年の中岡です。
先日の七大戦で引退しました。
まずは我々の代を支えてくださった師範・監督・コーチやそのほかOBや七大戦関係者の方々、先輩方や後輩にお礼申し上げます。ありがとうございました。たくさんの人たちのご支援のもとで、楽しく有意義な柔道部生活が送れたと思います。
前々回(去年掟を破ってしまった)山路くんがくそ真面目にややエモめな文章を書きくさったおかげで、妙なハードルが出来てしまったと感じております。また禊稽古されちまえ。
楽しい柔道部生活でした。あまりそれ以上のことは語れません。いや語り始めたらきりがないと言った方が正しく、試合の結果だとか自分の技術体系だとか柔道部の今後だとかたくさんありますが、ごちゃごちゃ言うとごちゃごちゃした文章になりそうなので、そういうのは赤柔でやります。あと柔道部生活で学んだことですが、自分は割と気まぐれな方なので、今ここに書いたことも近いうちにやっぱそんなことなかったわってなりそうなので書かないです。ただ楽しかったことだけは揺るがないと思います。
これからも練習には顔を出すので、後輩へのメッセージはその辺で適当に伝えます。一応(去年掟破)にならって書いたんですがとんでもない文章量になったので割愛します。
最後に同期に、皆お疲れ様と言いたいです。僕は柔道に対してかなり真面目だと思っていましたが、同期は全員僕より真面目でした。定期戦や錬成大会で結果が出なくても頑張り続けた故の、七大戦での幹部代の活躍だったと思います。彼らと同期として戦えたことは誇りです。とくに岡本。岡本は今のチームで行ける最高到達点まで連れて行ってくれたと思います。期待に応えられなくて申し訳ない。でも岡本が俺に色々求めてくれるのは嬉しかった。本当にお疲れ様。
良い柔道部生活でした。他に言うことはありません。以上、中岡でした。
こんにちは、4年の重松です。引退ブログを書きます。お世話になった人に感謝を伝えたいです。
先輩方、僕を育ててくださりありがとうございました。僕は入部時は体が小さい上に柔道も特に光るものがなく、弱っちかったと思いますが、先輩方のおかげで成長できました。引退直前でも先輩方を乱取りで取ることはなかなかできなくて、もっと強くなりたかったという思いはありますが、入部時の自分と比べたら何倍、何十倍も強くなったと胸を張って言えます。また、七大戦の準備や当日の運営をしてくださり、ありがとうございました。現役が知らないうちに全ての準備が進んでいて、僕たちは試合に完全に集中できました。本当に感謝しています。
同期のみんなも、ありがとうございました。この代で良かったと心から思っています。特に岡本、主将お疲れ様でした。岡本は優柔不断で主将らしくないと皆でいじっていたけど、内心では岡本にしか主将は務まらないと思っていました。普段は口下手なのに大事なところではカッコいいことを言うし、七大戦2日間の試合もカッコ良かったです。何より一番言いたいのは、僕はあなたのストイックさにとても刺激を受けました。自分は高校の時は同期の中で結構頑張り屋さんな方だったけど、大学で岡本に会ってこれには勝てないなと思いました。自分は岡本には及ばないけど、岡本のおかげで自分もできるだけ柔術に行こうと思ったり、頑張れました。ありがとう。
後輩のみんなも、ありがとうございました。後輩のみんながいたから柔道部という場所が僕はとても楽しかったし、もっと好きになれました。七大戦では、みんな頼もしい試合をしていて今後が楽しみになりました。これから辛いこともあると思うけれど、頑張ってください。心から応援しています。体を動かしたいときは部活に顔を出そうと思うので、相手してやってください。
寺田監督、山本コーチ、猪俣さん、成長を支えてくださり感謝しています。本当に貴重な経験ができました。ありがとうございました。
ここに書けなかった人も含めて、たくさんの人のおかげで柔道をやりきれました。感謝してもしきれません。引退まで僕がしてもらった分かそれ以上に、これからの柔道部に還元したいという気持ちです。ありがとうございました。
お久しぶりです。4年の山路です。実はこの新ブログの創設者でもあります。仮に僕の文章がおもんなかったとしても、他の名文が誕生すればそれは僕の功績でもあります。後輩諸君は尊敬して下さい。普通に。
そんな僕ですが、引退するので、これが最後のご挨拶になります。お世話になった先輩方、同期、後輩、みんな大好きです。なるべく短めにするよう善処しますが、思い残しのない様ごちゃごちゃと書くつもりなのでよろしくお願いします。
本編前にとりあえずの近況報告ですが、先日岡本の紹介で、パラエストラ池袋さんに出稽古させていただきました。
ありがとうございました。
噂に負けず劣らずの素晴らしい道場でした。
引退ブログと一緒にして良いか諸説ありますが、暇を持て余した引退後のOBの生態の一例として読み飛ばして下さい。
以下、手短にその日の体験記です。
その日は池袋に用事があったこと、その日練習予定だった岡本、古川の2人に誘われたこと、何より練習後小笠原さんと銭湯に行けるチャンスだったこと(とても柔道部って感じがしてよい)の3点で、直前に決心しました。
道場の方々はとても快く練習してくださいました。
みなさんとても強く、自分も10分スパーに不慣れなせいか、ペース配分を間違え汗がとんでもない量になりました。
気づくと僕は道場主の方に10分間、ハーフに入っては5秒でマウントを取られ続けていました。
死にたいと思っても死ねない(極めてくれない)ので、そのうち考えるのをやめました。
その後戦意を喪失した僕は無気力にボーっとするだけの塊と化し、心配した道場の方にお水を一本いただきました。ありがとうございました。
スパー中、頭上からはずっと笑い声が聞こえていた気もしますが、蒸し風呂空間で汗をかきまくり意識が朦朧としていたデブの記憶なので当てにはならないと思います。
唯一覚えている事といえば、とある方が某KO大のS○Cについて、どういう訳か「環境○報学部!環境情○学部!」と連呼しながらパスを繰り返しており、俺の両親共にイジられてて草だなと思ったことくらいです。
フラフラでしたが、小笠原さんと銭湯!といういかにも柔道部っぽいイベントを支えに頑張った僕は、念願を叶えるため巣鴨湯に向かいました。
終電を逃しそうでしたが、こういう時くらいしゃーないといつもよりフッ軽でした。
道中でチャリを漕ぐ小笠原さんに遭遇し、「のぼせたから先帰るわ」というありがたいお言葉をいただきました。
今度こそ一緒に行きましょう。
結局なんだかんだで銭湯を楽しみました。
ちなみにその夜は、オムライス、水1L、スポドリ1L、ウィダー一本、風呂上がりにまたスポドリ1Lを飲みました。
体重は93.4kg→91.2kgでした。
フッ軽だったのは気持ち以上に、実際に痩せていたからだったんですね。
僕のダイエットは前途洋々です。
4年は何故か岡本を奇人へ魔改造した?この修羅の国に一度顔を出すというイベントが定着しそうということで、古川が嬉しそうでした。
残すは中岡、君にきめた!
さて、本編に入ります。
七大戦が終わり、僕たち4年の東大柔道部人生が終わりを告げました。
練習だけでなく、運営に携わり、舞台を整えて下さったOBの方々、本当にありがとうございました。
チーム全員が、やれることを全て出し切ったと思います。
ハーフガードや金次郎を信じて続けた成果が結果に現れ、お世話になった先輩らにも少しは恩返しできたかなと安心した気持ちもあります。
とはいえ、結果的には昨年同様3位です。悲願である優勝の2文字が一瞬でも見えただけに、悔しい気持ちもたくさんあって、清々しいけど悔しくて、行き場の無い寂しさでずっと脱力した感じです。
うまく言語化できなくてごめんなさい。
一緒に戦ってくれた後輩にもなんか言いたいです。
こういう機会に書かねば伝えるタイミングがない気もするし、なるべく短めにするので付き合ってくれ。
まず1年。
たくさん入部してくれて、謎ルールの僕らの練習について来てくれて、本当にありがとう。試合出た子らは、一年目から七大ルールであんなに活躍できるのはやばいよ。今年はチャンスがなかった子達も、熱い想いのあるやつ、センス溢れるやつばかりでキラキラしてるね。七大を経て、東大柔道部のことがもっと好きになってもらえてたら嬉しいな。
同期を大事に、お互い高め合っていけば必ずもっともっとやばくなるから頑張れ!
2年。
斎木尚哉広羽だけになったときはヒヤヒヤしたけど、留学組の世銀メリッサと小柳の復活で激ヤバな代になったね。
みんなまだ2回七大あるのに、世銀は気づいたらマッチョだし、メリッサは運動センスもワードセンスも抜群だし、小柳はアホだし、ポテンシャルすごいと思う。
留学生コンビ、メリッサの明るさにはしんどい練習の時でも癒されたし、世銀は色々試行錯誤しながら頑張ってるの知ってるからマジで応援してるぞ。
小柳は戻って来てくれて心底嬉しかった。勉強と自分磨きに加えて、柔道でもこれから大暴れしてくれ。
広羽は悔しかったろうけど、来年の糧になるはずだから頑張れよ。死ぬほど強くなってるから自信持って!
尚哉は試合になるとすっかり戦う顔になってて、成長感じて北大戦は本当に頼もしかった。
終わって帰って来た後に「怖かった~」って脱力してたの見て、まだ俺の番あるのになんか泣きそうになったわ。
今後は負担もっと増えてストレスかもしれないけど、中間管理職向きのお前なら大丈夫。髪以外は。
デブは、まず今までこんなに長いこと一緒に柔道してくれてありがとう。
それだけで本当に嬉しいし、今年はしんどい試合が多かったけど、よく頑張ったよほんとに。
お前の66kg級だった中学の頃知ってる山路兄も、見違えたねって言ってた。色んな意味で。
立技しないからお前の手本になってやれなくて申し訳ないけど、お前なりの勝ち方を見つけて最強デブになってくれ。
尚哉には迷惑かけるなよ。色んな意味で。
尚哉斎木は特に2人で少ない幹部代を支えてやってくれ。
3年。
まずは3人しかいなくて、お前らの同期あんま増やしてやれなくてごめん。
新歓はダルダルダルだけど、今チームええ感じやねんなのも今年の新歓あってこそだから、頑張って指揮してやってくれ。
河本はハーフと立技のバランスむずいかもしれんけど、頑張れ。ハーフは俺が知ってることはなんでも教えるつもりだからなんでも聞いていいし、後輩にも得意の笑顔で優しく伝えていってくれると嬉しいな。来年お前が立って寝て両方活躍して優勝するの楽しみにしてるよ。
古川、白帯始めのヒョロガリだったのに、いつの間にか亀取り全然取れなくなって、マジで悔しかったわ。ほんとに。後輩なのに同期?同い年?くらいの面構えと熱いリスペクトでいつも俺を追い込んでくれてありがとう。おかげで技術だけじゃなく心も強くなった気がするわ。
今後も勝手に強くなっていくだろうけど、技術面でも主務でも、相談乗れることあれば何でも話してくれ。
堂下、主将だね。
実力的に今の4年と大差ないし、来年もっと強くなるよ。主将としてのあれこれは色々大変だろうけど、お前の鋼メンタルなら大丈夫。ちょっとだけ心配なコミュニケーションの部分は、古川がお前の翻訳機として頑張ってくれるでしょう。
来年の七大は頼んだ!
同期の分は、言いたい事山ほどあるけども、みんな仲良いしどうせ卒業までにいっぱい会うだろうし、赤柔あたりのネタもとっときたいので控えようかなと思います。
ただし岡本、テメーはだめだ。
俺がここまで強くなれたのも、最後まで優勝を夢見られたのも、全部お前と同期になれたからだと思う。
今までチームを引っ張ってくれてありがとう。
ゆっくり休んでね。
あと服買いに行こうね。落ち着いたら。
これで引退ブログの「オチもついた」かな!お後がよろしいようで。
引退から約2ヶ月が経ちました。元主務の世羅です。引退直後は部活のない世界が本当にあるのかという気がしており、1週間くらいなんとなく過ごしていましたが、2月も経つと"部活のない生活"というものにも慣れてきました。膝の調子も悪くないです。割と力も入ります。本当に切れてるのか謎です。少し前にサッカー選手が右膝前十字靭帯断裂の重傷、全治8ヶ月というニュースがありました。世間的にはやっぱ重症よな、よく試合できたなと思います。
直前の怪我の話をちょっと書こうと思います。
5月末の試合中に左膝を負傷して翌日、激痛でベッドから立ち上がれなかったです。なんとか立ち上がって病院に行き、大量の血を抜いたら割と楽になったしいけるいけると思ってました。MRIを撮らされ、後日診断結果を聞きに行くと「ここに見えるはずの線が見えませんねぇ、前十字切れています」流石に言葉が出なかったです。現役で東大に落ちた時より頭が真っ白になった気がします。
ですが意外と立ち直るのは早かったです。直前期に怪我した以上できることをやるしかないし、怪我のケア、筋トレなど試合までにできる一番良いの準備をしようって気持ちになりました。不思議と試合1週間前になっても、直前になっても緊張せず、試合前日は22時くらいに寝ました。これだけは怪我をして返ってよかった、大不幸中の小幸いといったところでした。
本番では初戦なんとか1人抜けましたが、練習不足によるスタミナ不足で全く動けなくなり取られてしまいました。情けないと思いつつも、先輩方が僕の試合で盛り上がったと聞いて嬉しかったです。あと後輩が皆頼もしい試合をしてくれたのもめっちゃ嬉しかったです。
身体中あざだらけになりながらもしんどい練習に行き、なんでこんなことやってんのやろと思うことも多々ありましたが、本気で取り組んだと胸を張って言えること、これだけで柔道部に入ってよかったと思えます。
一応引退ブログなので、同期とか後輩とかに一言っていう引退後しかできないやつやりたいと思います。
3年 去年の俺どころか今年の俺より既に強い。怪我に気をつけてくれ。
2年 2年時の俺より遥かに強い。怪我に気をつけてくれ。
1年 夏練顔出した時めっちゃ強くなってて驚いた。怪我に気をつけてくれ。
同期 色々あったけどお疲れさんでした。
最後に指導陣の方々、先輩方、お世話になった全ての方々に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。
とりあえず卒業できるように日本史と格闘してきます。
こんにちは、前会計の米山です。もう七大から二ヶ月以上経ってしまいましたが、引退ブログを書いていきたいと思います。
私にとって今年の七大戦は現役初めてで現役最後という例年だったら有り得ない状況だったのですが、不思議と緊張感なくプレイできたと思います。・・・嘘です、本当は何だか変な感じにずっと緊張していました。開催できること自体、プレイできること自体に感謝と嬉しさを感じると同時に、その反面、そわそわして居ても立っても居られなくなる感じが常にあったのです。そわそわしすぎた結果、京大戦が終わった後には、ホテルに帰ってから小笠原とホテルの廊下に寝っ転がったりして(汚い&恥ずかしい)東北大の取り役の対策をあーでもないこーでもないと考えていました。その時は真剣だったのでなんとも思いませんでしたが、今考えるとやっぱり異常ですね。ですが、これだけ緊張できる機会もこれからの人生、そうそうないだろうと考えると、貴重な体験をさせてもらいました。
そんな私の大会個人成績ですが、まさかの一敗一分に終わり、取り役()、お前今まで三年間何してきたん?と自分自身でも思うのですが、試合内容としてはやはり自分の弱いところがでたなという感触であり、自分としては全力で戦い、強みで負けたわけではないという理論でなんとか自分の心を誤魔化しました。斎木や末広をはじめ、多くの後輩に負担をかけてしまい本当に申し訳なく思っていますが、彼らが活躍する姿を見て自分より何倍も強くなるだろうなあと頼もしく思ったのも事実です。
二ヶ月経って振り返ると、私は柔道それ自体というより東大柔道部というチームが好きだったのだなということを常々感じます。先輩から受け継いだもの、後輩と共有したもの全てをひっくるめて「東大柔道部」であり、一丁前に辞めてえなあと思っても心の中で引き留めてくれたのがそうした仲間の存在でした。みんな、支えてくれてありがとう!
最後になりますが、我々東大柔道部に関わって下さったすべての方々に、ありがとうございました!
こんにちは。4年の犬井です。私は医学部で6年制なので後2年は現役としてプレーすることが可能ですが、学業などで色々と忙しいので7月に引退することにしました。
正直なところ、現役の間は毎日辞めたいと思っていました。練習はキツいしボコられるし自分の時間は無いしで辛かったです。今年の七大でもチームは1勝しましたが私は良いプレーができませんでした。でも終わってみると、夢みたいな3年間だったなと感慨深かったです。これは先輩方や同期、後輩たちと一緒に一生懸命頑張ってきたからだと思います(皆さんの努力にはかないませんが)。皆さんと時間を共有することができて本当に良かったです。ありがとうございました。また、先輩方が代々学生生活、あるいは人生をかけて戦ってきた七大に出ることができて本当に光栄です。
代が被った部員の方だけでなく、東大柔道部を支えてくださった方々、関わってくださった全ての方々に感謝しています。ありがとうございました。